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太極拳がもっと楽しくなる魔法の四文字 




楊名時先生のたくさんの本の中でも、こちらの稽古要諦がとてもわかりやすく心に響きます。
お仲間の皆様にも心に置いてお稽古して頂きたく、
楊名時八段錦・太極拳「海竜社」から引用させて頂きました


 気沈丹田   心静用意

「気沈丹田」は、気を丹田(へその下3㎝)に集めること。
「心静用意」は、意を用いて心静に行うということです。気分、気力など、私たちは気という言葉をたくさん用いていますが、気を目でとらえることはできません。私は「気とは何ですか?」と聞かれて時は、「人間の機能及び生活を活発に働かすためのエネルギーであり、西洋医学的に表すなら、神経に最も近いものだと思います」と、答えることにしています。「病は気から」は、病は気持ちようといった精神的なものもありますが、経絡を流れる気がとどこおるためという見方もあります。気の流れを良くすることが病を防ぐのです。
気血と言いますが、気と血は切り離しては考えられないもので、気が血を巡らせるのです。血は気によって体の隅々まで運ばれて体調を整えるのです。
東洋医学で言う経絡は血管と同じように網目のように体全体に張りめぐらされ、体のあらゆる器官の働きを助けていますが、これが生命エネルギーとなる「気」を体の隅々に運んでいるのです


命を養う宝は気と血
太極拳・八段錦は深く長い呼吸によって気を養い、ゆっくりした理にかなった動きで筋肉を十分に伸ばしたり、縮めたりして、血の流れをよくし、体の中にある365ほどのツボを指圧しますから、気を養うのに最適な体術なのです。
命を養う宝は「気」と「血」。太極拳は、気を養い、気血を全身にめぐらすので、命の宝が磨かれるのです。
では、気を丹田に集中し、体内から力を抜いて、「意」を用いて、つまり意識して心を静かに平らにいたしましょう。

沈肩垂肘  身正体鬆

「沈肩垂肘」肩に力を入れないで沈め、肘は自然に垂らすこと。
「身正体鬆」は、姿勢を正しくすると体がリラックスするということです。

気血が体の経絡にのって、隅々まで行き渡ることが健康につながるのですから、肩や肘など、どこか一か所でも緊張していて、気血の流れを悪くすることのないようにしなければなりません。肩を沈め、肘を自然に垂らせば体の力は抜けます。立禅はこの基本的な姿勢ですが、太極拳・八段錦の技をする時も、このことを心にとめ、肩や肘が上がらないように、力が入らないように注意します。


正しい姿勢は疲れない楽な姿勢
姿勢を正しくと言うと、背中をピンと反らせ、肩や肘に力を入れ、コチコチの姿勢になる人が多いのですが、そんな姿勢が何分持つでしょうか。力を入れた姿勢は背中が痛い、腰が痛い原因になります。気血の流れを悪くしているのですから当然なのです。正しい姿勢は、肩や胸がゆったりとしていて、体のどこにも緊張感がなく、腰と腹が座っていて気持ちが落ち着くものなのです。
体鬆の「鬆」は、髪の上半分と同じで、髪の毛のふんわりとしてゆったりとした感じを表しており、下半分の松という字は、松葉が伸びやかに開いている雰囲気をとらえたもので、ゆるやかで、ゆったりとした状態を表しています。
肩から肘から力を抜き、背も腰もゆったりとさせ、膝もゆるめ、体の中から緊張を全て取り去って、丹田に気を集め、大地にどっしりと根を生やした気分で姿勢を正してみます。
このリラックスした正しい姿勢で深く長い呼吸をし、ゆったりと動くと、気血の流れがスムーズになり、体がらくになり、体全体が軽くなったように感じ、心もおだやかになります。

内外相合  由鬆入柔

「内外相合」の「内」は、精神、特に心のことを言い、「外」は肉体、動きといった表面、外面を指します。内と外を一体とし、心をこめて稽古することが大切であり、また、内と、外のバランスがとれた時が健康ということです、
「由鬆入柔」は、体を楽にして余分な力を抜いた時、そこから柔らかさが生まれるということです。
柔らかい心、柔らかい体が一体となり、丹田に集中した気を体の経絡にのっとって体中にめぐらしながら稽古をしていくと、精神も肉体も鍛錬されて高められていきます。
内と外のバランスは、内が7分に外が3分。内面の充実があっての動きなのです。


柔らかい心は皆の健康と幸福を願う心から
では、柔らかい心、柔らかい体にするためには、どうしたらよいのでしょうか。私は、「我為人人」私は人々のために努力をするという言葉が大好きです。これを逆から読むと、「人人為我」人々はまた自分のためになってくれる、また、みんな私を大切にしてくれる、という意味になります。稽古の時に私は、いつも「みんなの健康、幸福を願いながら、さあ、今日も気持ちよくお稽古しましょう」と挨拶します。共に同じ願いを念じながら体を動かしていると、仲間と一体になります。
皆の健康と幸福を願うことで、私も健康になり、幸せな気持ちになることができ、柔らかい心になれます。
心と体が共に健康であることから、真の幸福は生まれるのです。



上下相随   孤形螺旋

「上下相随」の「上」は、体の上半身のことで、下は下半身。「相随」は、お互いに関連し合うという意味です。
「孤形螺旋」は、動く時は弧を描き、螺旋状に切れ目なく、綿々と続けるということです。
上半身と下半身は、常に関連させながらバランスよく動かしていきますが、特に、手と足のバランスが重要です。足を床にしっかりとつけて、体のぐらつきをなくし、腰を安定させて、足を踏み出す時は螺旋状態に続けていきます。

上下のバランスは、下7、上3
上下のバランスの基本は、下半身がぐらついていたのでは、上半身が安定しませんから、下半身を7にしてしっかりさせ、足の裏にも気を行き渡らせ、根が生えたようなつもりで立ち、上半身を3にすると肩の力がとれて楽に、柔らかく動くようになります。
虚実で言いますと、上半身が虚で、下半身が実です。
足が動き出す時は、足先だけを動かすのではなく、腰を軸にして大腿から動かします。足先から大腿→腰→上半身→腕→手→指先まで、体全体を関連させて動かします。「雙手萬能(そうしゅばんのう)」という言葉がありますが、双(ふた)つの手は万能、つまり両手は何でもできると言われるほど、大切なものですから、手は指先まで十分に気を行き渡らせて動かします。手が動けば腰が自然に動き、足も目線もそれに従って動くとういように、全体のバランスを上手にとりながら行って下さい。
心は無に、気は全身に手や足がゆるやかに動き、体の上下のバランスがとれると、筋肉や関節も無理なく動きますから、体から緊張がとれ、心も雑念から放たれ、無に静まっていきます。
体全体がゆったりとすると、気血の流れを邪魔するものがなくなりますから、体のあらゆるところに気血が行き届き、内臓の動きを促し、体調がよくなります。
また、ゆっくりと体を動かす時の、深く長い呼吸は、自律神経の働きをよくしますので、自律神経失調症と言われる、体のだるい、疲れやすい、頭が重たい、冷え、のぼせなど不快な症状を取り去ってくれることもあります。
イライラなど精神的な苦痛からも解放されます。

主宰於腰   中正円転

「主宰於腰」をわかりやすくするために、私は「鬆腰円當」という言葉を用いて説明しています。
「鬆」の上半分は髪の毛のふんわりとした感じを表し、下の半分は松という字です。松の葉は開いていて窮屈な感じを与えません。松の実の松ぼっくりは丸く愛らしい形をしています。こうしてみると「鬆」は、下半身もゆるやかなことを表しています。「腰」は肉づきへんに要と書くように、文字通り体の要となるところが腰で、上半身、下半身のバランスをとるのに大切な部分です。更に、体の前後左右に曲げることができるのも腰のおかげですから、体の最も重要なところなのです。「円」は、丸く角のないことです。
「當」は、馬に人が乗る時に鞍を置きますが、昔中国では、その鞍のことを當 と言いました。この當が角張っていたのでは痛くて乗れませんから、角がなくまろやかなことを意味しています。
そこで、「主宰於腰」と「鬆腰円當」は、動きは腰が中心で、腰は体全体の要。その腰は力を抜いて、ゆったりとした状態で、腰を中心にして上半身や足を動かすようにということです。
「中正円転」は、背骨はまっすぐにして、動きは円のようにまろやかに動くように、ということです。


内臓のマッサージ
日常の生活の中で、腰を深く曲げて上体を前に倒したり、腰に気をおいて上体を反らせたり、腰を中心に右から前へ、前から左へ、そして後ろへと上体を回したりすることはあまりありません。
太極拳・八段錦は、そうした普段しない動きを、ゆったりとしたしなやかな動きに深長呼吸を伴って行います。
腰を中心に体を動かすことは、内臓を心地よくマッサージすることなので、内臓の働きをよくします。胃腸がととのえば、便秘を予防することができます。腎臓は腰の後ろの両側にあり中に入り込んでいますから、外から刺激を与えることは難しい臓器です。この腎臓をマッサージして活力を与えるためには、腰を中心に上体を前に倒したり、後ろに反らすのが効果的です。このように、腰はやはり体の要ですから、腰をゆったりと安定させ、手足が一体となり、深長呼吸とふくよかな心をもって行います。

*當の字=実際は左に月へんが付きます。パソコンに無

尾閭中正  源動腰脊

「尾閭中正」の「尾閭」は尾骶骨のことです。 背骨をまっすぐにして、尾骶骨の位置を正しくすることが大切ということです。 
い、ということです。ところで尾骶骨というのはどの辺のことを言うのでしょうか。へその下3㎝を丹田と言いますが、このちょうど後ろ辺りが尾骶骨に当たります。人間にしっぽはありませんが、もし、しっぽが生えたとしたら、きっと尾骶骨の辺りであろうと思います。猫や犬、猿など、動物にはしっぽがありますが、このしっぽはバランスをとるためについています。そうしてみると、尾骶骨は人間の体のバランスをとる上で重要なところですから、丹田と共に養いたいものです。
胃の調子が悪い、あるいは、意の具合が….という人は、きまって前かがみの姿勢をしています。肩がこる、胃が痛い、疲れるといったことを訴える人も、反り過ぎていたり、左右のバランスが崩れていたりして姿勢の悪い人が多いのです。


万病は背骨から
昔から、よく「万病は背骨から」と言われていますが、本当にその通りなのです。背骨を中心にして私たちの体は成り立っており、その背骨の下部に当たる尾骶骨は、前後左右のバランスをとるのに重要なところです。尾骶骨に気を置いて、背骨を立ててみると、背骨が気持ちよく伸びてきます。
太極拳で言う、正しい姿勢は、どこにも力を入れないで、ゆったりと立つ、立禅の姿勢です。
普段から横座りをしたり、腰かけていて足を組んだりして、尾骶骨をゆがめる姿勢はしないように心がけましょう。


含胸抜背   脊貫四梢

「含胸抜背」の「含胸」は、胸が自然な状態で、膨らませようと思えば膨らむ、ということで、ゆとりに通じるものです。
「抜」はのびのびの意味で、「背」は背中、背骨、尾骶骨などですから、「抜背」は、背中をのびのびとさせることです。
「含胸」「抜背」表と裏が一体となってはじめて呼吸がととのい、精神が統一して、気血の流れがよくなるのです。
背骨を気持ちよく伸ばして胸をふくよかに膨らませるようにして呼吸をすると呼吸がとてもしやすくなります。
「脊貫四梢」の「四梢」は、両手両足の指先のことで、脊髄は四本の末梢神経につながるという意味です。


自律神経が整う
手の先、足の先まで気血を巡らすことは、全身にくまなく気血がめぐるとういことです。
太極拳、八段錦は、ソワイ手をはじめ、脊髄を中心にする動きがほとんどですから、脊髄は十分に養われます。
その脊髄神経を包んでいる自律神経は、背骨を通って腹部に集まり、肝臓・胃・膵臓・小腸・副腎・腎臓に連絡をします。
肺・心臓・直腸・膀胱には脊髄から直接連絡しています。ですから、脊髄に刺激を与えることは、内臓がくまなくマッサージされた状態になるので内臓は活発に動きはじめます。

そこで、体の自動調節が働きだし、交感神経が興奮すると副交感神経が沈静を与え、交互に与え合うことでちょうどよい状態になろうとする動きが活発になります。

背骨を中心に上体をまわす時は、胸をゆったりとさせ、大宇宙の中に小宇宙の人間が舞うように、両手は円を描くようにしなやかに、心もまろやかにして行きます。

虚領頂勁    三尖六合

「虚領頂勁」の「頂」は、頭の頂のことで、「勁」は、神経と力を意味しますから、雑念を払い、謙虚な気持ちで無念無想になることです。「三尖六合」の「三尖」は、手の親指の先、足の親指の先、鼻の先の三つを一直線に結ぶようにということです。「六合」は、内面の三合と外面の三合を指します。
内面の三合は、精、気、神で、「素問」以来の中国の気功の神髄であり、極意とされているのです。
精は、内臓の働きを良くすること。
気は、呼吸、呼気の気で呼吸すること。
神は、大脳、小脳、など脳神経のことです。つまり、
内臓は元気で充実し、呼吸はおだやかに、神経は安定して、調和をとることが大切ということです。
「精、気、神」の上二文字をつなげると「精気」です。
「呼吸精気、独立守神」という言葉がありますが、これは、人は精気を呼吸して自分の精神を守るということです。また、下からの二文字を下から読むと、「神気」となります。神気とは、神々しい、悟っている、堂々としていることで、何事にも動揺しない大人の風格をもった人のことを、中国では神気のある人と呼んでいます。
外面の三合は、手足のバランス、肘と腰、大腿と上腕のバランスを言い、腰を中心とした上下の調和で、美しい形が生まれるということです。以上のことから、無念無想になって雑念を払い、内面の三合と外面の三合が一体となり、おだやかに、和やかであることが健康の元であり、人間が生きるということの神髄であると思います。私は、この精、気、神に心を加え、「心、精、気、神」として、太極拳の極意としたいと思います。


無我の境地に入るには
「雑念を払い、謙虚な気持ちで無念無想になりなさい」と言われても、簡単になれるものではありません。
私は雑念が入ってうまく無我の境地に入れない時は、真っ白な雪をいただく富士山を頭に描き、心に静けさをたたえた摩周湖を描いてみます。もし、桜の花やバラの花など、花の好きな人は、花を描いてみてもよいのです。とにかく、自分の心の落ち着けるものを描くのです。
美しいものを描くと精神が統一されてくると共に心もゆったり落ち着いてきます。                            *素問=中国最古の医書

呼吸自然  速度均匀

「呼吸自然」は、呼吸は自然の状態で、体の為になる呼吸であることが望ましい。「速度均匀」は、速さを同じにするということです。
一般的な呼吸は、胸部を広げる筋肉の運動によるもので、安静の時に計ってみると、1分間に16~20回しています。胸部が広がるのが吸気で、胸部が縮まるのが呼気です。太極拳・八段錦の呼吸は胸だけではなく、もっと深く、長くする複式呼吸法で、7秒~9秒かけて吸い、吐く時はう時の2倍くらいかけてゆっくりと吐きます。息をゆっくり深く吸いながら、意をもって「気」を丹田に導き、また、ゆっくりと「気」を大地にもどす気持ちで吐きだします。この吸って、吐くことを「一息」と言い、鼻から吸って、鼻から吐きます。


一つ一つの呼吸を大切に
心静かに吐く息の長い呼吸を繰り返し、気を丹田に集めているうちに雑念が払われ、心が落ち着き、大宇宙と、小宇宙の自分が一体となっているように思われてきます。太極拳、八段錦の呼吸は、手の動き、体や足の動きに合わせて行うと自然にできるようになります。
手を下から上に上げる時は、息を吸い、
上げた手を下げる時は、息を吐きます。伸ばした手が体に近づく時に息を吸い、体から離れて行く時に息を吐きます。
体を曲げる時に吐き、曲げた体を伸ばす時に吸います。
この基本の呼吸法は、八段錦では全てに当てはまります、が、太極拳では呼吸に気をとられて不自然になることもありますから、基本にこだわる必要がありません。稽古を積んでいるうちに、体の動きと呼吸は自然と合うようになります。吐く息の長い呼吸を鍛錬していると、気血の流れがよくなり、体と心の健康へと導いてくれます。
「楊先生の太極拳は、まるでかかとや指先で息をしているように見えます」と言われたことがあります。
息をしているように見えるということは、かかとや指の先まで気が満ちていることで、経絡にのって血が流れ、体に活力が満ちていくことがよくわかります。
階段を上がる時、百段を一気に上がろうとすると息が切れて上がれませんが、一つ一つい急がないで上がっていけば、いつの間にか上がれます。呼吸の鍛錬も同じことです。

分清虚実 胯与膝平

「分清虚実」の「清」は、透き通るという意味ですから、虚実をきれいに分けるということになります。
「胯与膝平」は、後ろ足の太腿と前足の膝の高さを同じくらいにするという意味で、腰をぐっと落とすと心も落ちつき、虚実をはっきりと見分ける心になります、ということなのです。


虚実とはなに?
ところで、虚実とはどういうものでしょうか・太極拳・八段錦に虚実に絞って考えてみますと、まず、立禅で心を「虚」にして「実」の動きに入ります。
技の面でも、虚実が分けられます。
手を押し出した時の手は実で、指先は虚です。全身の重さを右足にかけている時は右足が実で、左足が虚です。反対に重心が左足にかかっている時は、左足が実で、右足が虚です。 片方の足を安定することで、もう片方の足がスムーズに宙を動くのです。
このバランスがとれていないと、転身、移動がうまくできません。また、太極拳の静かで綿々と続く、あの滑らかな動きではなく、ぎこちなくなってしまいます。
太極拳とは無極ですから、虚の中に実を、緊張の中に弛緩(しかん)をと、一方の極を極めることはないのです。この極を極めないことが、太極の大宇宙と、私たち人間の小宇宙が一体となりうる極意と言えます。「虚」とはまた、無心でもあります。無心の境地で、「実」の技を伴って動けば、心はなごみ、心は自然にとけこみ、こだわりがなくなって、何事も受け入れやすくなるのです。宇宙の大自然に陰と陽があるように、人間にも虚と実があるのです。


動中求静  眼随手転

「動中求静」は、動きの中に静けさを求めることで、どんな技をしていても心は安静を保つということです。
「眼随手転」は、眼は、手の動きを追っていると、呼吸がしやすく、雑念の入る隙も無く、心が落ち着いてきます。そして形もととのいます。
心の中が散漫になって、他のことを考えたりしていると、動きが乱れてきます。そこで、太極拳は動きの中で雑念を払い、無我無心になって精を求めます。そのため「動く禅」「行禅」とも言われています。背筋をスーッと伸ばして肩と肘の力を抜き、腰を安定させて立禅をします。静かに何も考えないで立禅をしていると、不思議に心が落ち着いて、体がふわりと軽く、柔らかになり、体が動きやすくなります。太極拳は、この無我の境地で動き出し、無我の境地で終わるようにします。


「静」が内臓の「動」を引き出す
動中静を求め、静中動を求める。
体は動いているが心は静かである。
心は静かに平らかにして動きが行われる。これが太極拳の真髄なのです。
無我無心の頭と心で、静かに体を動かしていくと、「静」の状態の大脳皮質が十分に休息するため、緊張の抑制に状態がとけて、高次神経中枢としての動きが活発になってきて、内臓へ強く働きかけるため、内臓は「動」となって、体の健康に欠かせない有機体の活動と新陳代謝がよくなります。
精神的にも静であれば、すべてのものを受け入れ、冷静に対応することができるのです。
太極拳は、動(内臓の動き)と静(精神統一)の両面から働きかけていく体術なのです。

剛柔相済   手与肩平

「剛柔相済」の「剛柔」は、剛と柔、「相済」は互いに助け合う、補い合うという意味です。
「手与肩平」は、前方へ押し出す手の高さとは、肩と同じぐらいの高さにすることです。肩に力が入ると手が堅くなり、心も緊張してしまします。肩から力を抜くと手は宙を舞うように柔らかくなり、心もゆったりします。手と肩はいつも一体、同じと考えて技をしてください。

「剛」は骨、「柔」は筋肉
「剛柔」について、私は、「剛」は骨格で、「柔」は筋肉と、自分の体を通して考えています。骨と筋肉は、どちらが強くても弱くてもいけません。両方が助け合い、協力し合ってこそ、体を維持し、健康を保つことができるのです。最近の子供には骨折が多いと言います。小児科の整形外科医が調べたところ、骨に異常はないが、筋肉が弱いことが分かったそうです。塾通いなどで遊ぶことが少ない現代の子供達は運動不足なのです。
大人も運動不足です。歩かないですぐに車に乗る、階段を上がらないでエスカレーターを利用する、近頃は動く歩道まであり、運動不足に拍車をかけています。筋肉はますます弱くなるばかりですし、骨粗鬆症という病気も増えて問題になっています。丈夫な骨や筋肉は、動くことによって作られるという医学的報告があります。どんなに良いものを食べても運動をしなければ骨などはどんどん弱くなります。
太極拳・八段錦で、自然に無理なく動いてください。
日常動かすことのない筋肉までくまなく動かすことができます。


太極拳・八段錦は自然の名医

激しい拳には「力」が必要ですが、太極拳は、「柔」の動きで、精神の統一、心の和を求めて内面を充実する体術で、「力」に頼らないものですから、年をとっても技がおとろえることはありません。
おとろえるどころか、稽古を積み重ねるほどに、内面の心も充実し、外面の技も充実し、それはつきることのない「無極」と言えましょう。
中国では、太極拳のように精神を統一して、ゆるやかに、静かに体を動かし、体の隅々までマッサージする体術が何千年も受け継がれてきました。
それは続けるだけの価値があるからで、
私は、太極拳・八段錦は「自然の名医」であると信じています。

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